畦道(あぜみち)1999 11/18 By XERE

 私は夢を見ている。私は歩いている。果てしなく続く一本の畦道を。空は偽っている。青い空を装っている。本当は真黒い雲に覆われているくせに。私には見る事ができた。私には真実しか見る事ができなかった。そして終わることのない畦道を、唯歩く事しかできない。夢だ。夢を見ている。その夢は覚める気配がない。
 ふと立ち止まった。寒さで手がかじかんでいる。辺りを見廻すと、広大な田んぼが地平線の彼方まで続いていて、田んぼには稲が実っているようだ。今が昼間なのか夜なのかは、はっきりしない。だが、空は不自然な青さを装って黒雲を湛えている。廻りは麗らかな春の日のように穏やかなのに、私には真実が見えてしまう。水田はどこまでも、どこまでも続いている。まるで私が、私だけが寒空の下で凍えている様だ。私と、田畑との間を隔てているものは、私の皮だけなのに。
 私は又歩き始た。何の為に私は歩いているのだろう。いや、歩くことに理由など必要だろうか。果てしなく、稲穂の実る水田が広がっている。私は優しさと、厳しさとを感じながら、何かに向かって、何かを目指して、歩きつづける。いつからか、或は初めからか。足には感覚は宿っていない。金色の稲穂が一面、風になびいている。これは夢だ。夢には終わりがある。何時からだろうか、夢に終わりがなくなったのは。
 どれだけ歩いたのだろう。時の流れさえ意味を為さなくなるほど。太陽。太陽は存在しない。空は青い。それは嘘だ。音もない。音とは何だろう。どんな色をしているのだろう。此処には音は存在しない。
 畦道は細く、それは真直ぐに続いている。私は考えてしまう。私には意味は必要ない。空間は動かない。何も変わらない。時は意味がない。そして、歩いているのは「私」だ。私はなぜ私なのだろう。私とは何だろう。どんな色をしているのだろう。私はどこまで知っているのだろう。歩く。歩く。歩く。又歩く。歩く。歩く。先には何かが在る。それが意味なのだから。ここには音が無い。音を知らない。私は真実を見る事ができる。水田はやがて麦畑に変わった。風が吹く。すると麦はざわざわと揺れる。空は変わらぬ顔で、私に嘘をつき通している。寒さで息ができないくらいだ。麦達は暖かな日差しにつつまれているのに。私は真実を捉えているのだろう。私は歩きつづける。稲が麦に変わろうとも。歩き続ける事に意味があると思っている。いや、歩き続ける事に意味は必要だろうか。歩く事でしか私は私を確かめることができない。いや、そもそも意味とは何だろう。意味の意味を考えることに意味があるというのだろうか。そもそもなぜ私は考えるのだろう。私はいつ、一体、どうして真と偽を見分ける術を知ったのだろうか。ここは夢の中である。私の体に感覚は宿っていない。夢は終わらない、答えは出ない、何も変わらない。唯、真実が視える。畦道はそこにある。だから私は畦を蹴って進む。前へと、金色の穂を橈わに実らせた麦が、後ろへ、後ろへ、後ろへと流れてゆく。私の眼だけが真実を捉えている。
 私は夢を見ている。夢は唐突に終わりを告げる。私は風に告げたい。しかし私は風に告げる言葉を知らない。
 やがて雪が降り始めた。空は虚しい位に高い。そして私の眼に見える偽りの空もやがて強く厳しげな日差しを麦へと向ける。畦道は終わらない。
 麦は枯れてしまった。あの麦畑が真実ならば麦は生きては行けない。こんなに寒い空の下で、雪に埋もれてしまえば。麦も稲も。嘘吐きだ。みんな私に嘘を付く。だけど私はそれを見破ってしまう。装っている。麦はそこに在る。強い日差しはますます強くなる。それは土を焦がす。土の焦げる匂いがする。麦が燃え出した。地平の遥か彼方まで。炎が一面に。雪は稲を消し、炎は麦を消し、そしてすべてが消えて、真実と嘘は一つになってしまうと、自分がひどく脆いモノに思えてきてそして私は歩く事しかできなかった自分を責めて、立ち止まった。もう二度と立ち止まる必要は無いと思っていたが、留まって見ると辺りは一面炎と雪に囲まれて、もう何処にも生きる者の姿を見出す事はできない。
 私は必要ではないことをすることはしなかった。私は不要な事を由とはしなかった。
 私はもはや真実と嘘を隔てるものは自分でしかない事に気が付き、そして真実と嘘を区別すること自体が無意味なのだと悟った。
 私はもう考えることを止めて、畦を外れ、初めてそこで自分と言う不自由を棄てると、嘘と真実だと思っていたソレの残骸に飛び込んだ。

  すると、そこには虚無だけが遺(のこ)った。