Life Exist Form-命在るカタチ
Written by / XERE & Kurauru


第十二話
「紅い季節から」

 プロジェクト”フェミニティ”と称される計画が持ち上がったのは、…13年も前の事だ。

 『女性らしく』を合言葉に、『テクニカルライフルーツ・コーポレーション』の所持する日本研究所において何年にも渡って続けられてきたある…自立能動型ロボットの計画である。
 その計画は、…そもそもはある二人の少年の…夢だった。
 少年は生真面目な性格で、礼儀正しく、約束は守りぬく人だった。

 ある日突然、夢が、夢で無くなることになる。
 それは、具体的な計画に取って代わる。
 莫大な金と、地位が、ただ父親の元で働いていただけで手に入った。
 それは、彼にとっては突然のことだった。
 そこで彼は、その計画を実現させるために。そのの会社を経営することとした。
 幸いにしてその会社は、その計画を実現させうる人材がそろっているようにも思えた。


 彼の胸の内にあったのは、失われた、肉親の影。

 その計画を実現できたのは、今は技術者になっていた、男の親友だった。

 男の親友も今は又、失われた伴侶の影を、心の奥で見つめていた。

 手の届かない場所にあるものを…見つめていた…

「フェミニの量産体勢は……整っているのか?」

 そう訊いたのは、TLRの最高権限を持つ者。

 男の真の名は”クリストファー 碌那(ろくな) 新條(しんじょう)。”

アメリカ人と日本人のハーフである。もっと祖先は中国人だったというが定かではない。

7ヶ国語(フランス語、ドイツ語、ロシア語、英語、日本語、韓国語、中国語(北京語・繁体字))を平然と扱いこなし、経営の手腕も認められて父の後、ジェネラル・オートマティックを継いだ。彼もある種の天才である。

 訊ねられたのはパソコンのディスプレイと向かい合い、キーを叩きつづける男。
 声には憔悴の色が濃く、以前のような張りは消えうせていた。

「一応、”それ”用のプログラムは…6割くらいは終わっている…」

 声は機械的で、感情というものが欠如していた。

 男の名は”月沢 神持”

 TLRの特殊な技術者として、今、彼はこの場所に居た。

 だがそれ以上に、二人は学友であり、親友であり、同僚であり、上司と部下であり、一人の女性の思い出を共有する者同士であり、そして共犯者だった。

「結局、アケミを切り売りするみたいな真似を……」
 自嘲するように、新條は呟く。
 声からも表情からも疲労が滲み出て、周囲に伝播しかねないほどであった。

「……フェミニには伝えているのか、シンジ」
「何をだ」
クリスは2秒ほどためらって…
「彼女自身の事を」
「……まだだ」
 キーボードを打つ手を休めず、答える。
 画面には、黒いエディターに白の文字でプログラムが羅列されている。
「もう、十分に大人になったんじゃないのかよ」
「………」
「何時伝えたって同じだ。あと三ヶ月で、今みたいな環境で、今までみたいな劇的な成長が望めるわけもないし、彼女は十分以上に成長しているじゃないか」
「クリス」
 新條は圧倒された。低く暗い、静かなその声に。
 濃縮された無念さ、或いは苛立ちというものがあるなら、こういうものなのだろう。
「未羅のことは、私に任せておいて欲しい」
「……………」
 今でも彼は、”未羅”と呼ぶ。彼女は『フェミニの試作機』に過ぎないというのに。
 あの名前は、ただ、彼女を、現実につなぎとめておく楔(くさび)でしかないというのに。
「分かった。」
 一言だけ、言うと新條は踵を返して、その場を後にした。
 …………………
 夢は、夢のままにしておけばよかったのだろうか。
 少なくともそうすれば、これほどに傷つき、苦悩することもなかっただろうに――
「アケミが生きていたら……」

 最初は、三人だった。
 月沢 明美――旧姓、雨木 明美は、『フェミニ』の感情生成の基礎を生み出した女性である。
 ……同時に、自身の感情の変化を電気的に変換する機械を体内に埋め込み、そのデータをシンジに提供しつづけていた女性でもある。
 それは違法な行為であったし、実際彼女の体に負担をかけていた。
 だが、彼女は研究の完成を見る事も無く、二年前に他界している。子宮ガンの末期症状だと、医者は告げていた。

 未羅は、二人が創り出したロボットだ。

 ……だからこそ、彼女は月沢の『娘』だったのだろう。

 因果なものだ…


 最初、それはコンピュータの中にあった。
 作られたのは、倫理回路テスト用シュミレーター、HA-F160.A0.『パーティーション・ワン』である。
 この機体はある思考パターンで暴走を起こす事が判明し、後に破棄された。この時点では『フェミニ』シリーズには『感情』と呼べるようなものは存在せず、倫理回路による判断を行うのみであった。
 言わば従来のロボットの判断を、従来のロボット三原則から人間の倫理に近づけようとした――それだけの試みであった。

 後に、倫理回路に加え感情回路を組みこんだ試作二号機、HA-F160.A1 『パーティーション・トゥ』が製作される。

 『感情』という不確定要素の研究用に試作されたこの機体もボディーを持たず、『パーティーション・ワン』と同じプログラムのみの存在であった。
 やはり暴走を引き起こすことがあったため、後に破棄される。
 原因は、決まりきった物事を最初から定義してしまう――すなわち、例外を許さない事であると考えられた。『感情』というイレギュラーを背負った事によって、『例外を許さないという』事と『感情に沿って判断する』という、時に矛盾する二つの命題をも同時に背負わされた結果であると言えよう。
 それを示すように、暴走する直前には、自らの精神回路に異常をきたし、正常な判断が不可能となることが確認されている。
 要するに、与えられたことの削除はその「パーティーション・トゥー」では行えなかったということだ。

 ――そして、以上の二機の反省を元に、今までの回路設計を切り捨て、新たな方式で思考・感情・倫理回路の仕様を変更した機体が製作された。すなわち、知識の断片を組み込み、それを外部の状況によって関連・切り離しを行い、学習によって柔軟な環境への対応を学び、なおかつ記憶の断片をもとに知識を毎日再構築していくシステム……ある程度自分で『成長する』ロボットプログラムを作り上げたのである。
 言うのは簡単だが、それを実現するには天才的な能力と、運と、そして明美という女性の存在が絶対に必要だったのだ。
 結果、経験の蓄積と感情による二方面からの思考が可能となり、同時に、思考・判断における『あいまいさ』が形成された事によって、同じ事例に直面した際も必ずしも同じ判断を下すというわけではは無くなった。
 これによりパーティーション・トゥの背負った二律背反が解消され、柔軟な思考と高い人間性が実現されたのである。

 それこそ、HA-F160.A2『フラグメント・ファジー』……別称、月沢 未羅の完成である。
 彼女が『ロボット』であるという可能性を考えるものは存在しなかった。変わり者と思われてはいたようだったが、彼女は人間として、学校と言う特殊な環境に十二分に対応することが出来た。
 それこそ、研究者達が望んだ”フェミニ”の完成形であり、一つの芸術の誕生でもあった。
 そうした意味では、研究者と芸術家にはある種の救われがたい共通点があるのかもしれない。


 だが、哀しいかな……芸術品とは常に、商品としての側面を持っている。
 芸術はそれを求める者達によって、その価値を金銭として購われる。
 ……それは今も昔も、変わることなく続いている。





「……………………」
 三枝 美紀は憂鬱だった。
 ここ数日、何の代わり映えもしないのもあるし、「あの日」が経験から近い、というのも一因であったのかもしれない。ついでに言えば期末テストが近いのも、憂鬱さを助長させていた。
「ねぇねぇ、美紀ちゃん」
 憂鬱など欠片も無い声で呼びかけ、駆け寄ってきたのは、彼女の友人だった。
「沙耶……?」
「元気無いね、どうしたの?」
「別に……大した事じゃないわ」
 沈んだ気分を隠そうともせずに言う。一方の牧原 沙耶は、相も変わらず笑顔だった。
(…その笑顔の裏…沙耶…あなたは何を考えているの?)
 最近、美紀は彼女に対して言いようの無い苛立ちを感じていた。
「ねぇねぇ、それよりさ、今度新しく出来た遊園地の優待券、貰ったんだ。一緒に行こうよ」
 その手には、「ビーグランド」という名前の「遊園地」の優遇件が握られていた。

「いつ?」
 習慣的にそう応答する。
「今週の土曜日」
「……まあ、別にいいけど……」
 沙耶の真意が読めない。女仲間だけで行っても、どうってことないだろうに。

「それでさ、涼野君と高岡君も誘って行こうと思うんだけど、どうかな?」
「あの二人を?」
 一瞬だけ意外に思って、三枝は目を見開いていた。
「うん。女の子だけよりは、やっぱり男の子も誘った方が賑やかだしね」
 沙耶も、先刻の三枝と同じ考えであったらしい。
「まあ、反対はしないけど」
 高岡はともかく、柄咲がのってくるとは、三枝にはとても思えなかった。
「そういえば、リッコは? 誘ったの?」
 ”リッコ”というのは、同級生で友人の、安藤 律子のあだ名である。
 沙耶は首を軽く左右に振って、苦笑した。
「リッちゃん、渋谷にボーイハントに行くって」
 ……十数年前、米国経済市場の崩壊から起った「シェアブレイク」により、日本では既に工業生産の類はほぼ、全く行われなくなっていた。寧ろ優秀な人材と自然環境、科学技術を頼りに、歓楽地、観光が隆盛し、都会では各国の学問機関が学部を設置しているような有様である。
 学生が集まる以上娯楽も必須となる。例えば流行といったものも、その中に含まれる。
 渋谷は今でも若者の集まる、流行の先端を行く街だった。
「また?」
「懲りないよね、リッちゃんも。いい加減にすればいいのに」
 苦笑して、沙耶が言った台詞。
 以前の彼女ならこんなことは…たぶん言わなかったろう。
「ねぇ、沙耶……」
「わたし、高岡君と涼野君にも声かけておくよ。美紀ちゃんも楽しみにしててね」
 それだけ言うと、沙耶はさながらツバメのような身軽さで身を翻し、走り去っていた。同時にHRの開始を告げる鐘が鳴る。
 廊下にたむろしていた生徒や、遅刻すれすれの生徒が教室になだれ込んでくる。


 担任の木塚が教卓に立つ直前に席についた高岡 杏里は、完璧に息を切らせていた

「おはよ、高岡君」
 三枝は話し掛けた。
「おぅ、おはよ」
 高岡はまだ肩で息をしている。
 彼の息が整うよりも早く、話題の乏しいHRは終わりを告げた。
 一時間目の用意をしている間にふと思い立って、三枝は、沙耶の提案を話しておこうと思った。
 要約して話すと高岡はふむふむと頷いた。
「ぱっと騒いで、とりあえずウサ晴らししようってわけだろ? つきあってあげよーじゃないの」
 にぱっと笑う。
「聞こえてだろ? 涼野、お前も付き合えよ〜」
「俺も……?」
「面倒だー、とか言うんじゃねえぞ。おまえが付き合い悪いのは前からだが、たまにはこういうのも悪くないとおもうぞ?」
「……別に」
 どうも最近、柄咲の暗さに磨きがかかっている。
 ……高岡は、そう思った。
 寧ろ最近の方が明るかったのだろうか? 月沢 未羅という名の少女が訪れた頃から……。
(……そういや、俺がこいつとよく話すようになったのって、あの頃からだったっけな……)
 それ以前は可も無く不可も無く、普通のクラスメートとして認識していたが、それ以上ではなかったと思う。
 何より柄咲はとっつきにくい風だったし、その雰囲気ゆえに、周囲から敬遠されぎみと言えるくらいであったから。
「行くか?」
「……」
「はいかイエスか」

 二秒ほどの沈黙。

「選択の余地は無いのか……」
 柄咲は、深く溜息をつく。
「……OK」
 愛想は欠片ほどもないが、まあこんなものだろう。
(……未羅ちゃんも、一緒に来れればいいんだろうけどな……)
 電話が繋がらない。
 会う事も出来ない。高岡は彼女の住所を知らなかったし、彼女の住所は生徒名簿から削除されているらしい。
 唯一彼女の住所を知っているらしき柄咲は、彼女に会おうとする意思も、住所を教えるつもりもさらさら無いらしい。
(……いつまでも、あんな事で……)
 月沢 未羅そっくりの少女が、『TLR(テクニカル・ライフ・ルーツ)』の最新型ロボットとして、TVや新聞に映ったのは、つい先日の事だ。
 この場にいる人間で、あの事件で最もショックを受けているのは……柄咲であると思えた。
 ならば、こいつも誘うべきだ。少しは気を紛らわさないといけない。
 真綿で首を締められているような状態を、いつまでも続けさせていてはいけない。
 なぜか、そう思えた。

「今週の土曜日だからな、覚えておけよ」
「……分かってるよ」
「あ、先生来たよ」
 三枝の声と同時にチャイムが鳴り、その日の一時間目の授業が始まった。




 土曜日。
 天気は底が抜けたような快晴で、まばらな雲を散りばめた青空は、蒼から白へと続くグラデーションを描いていた。

「ごめーん、待ったぁっ?」
「おっせーよ、お前ら」
 駅前。三枝の声に答えたのは、高岡であった。
 高岡の傍に、三枝、柄咲、そして牧原 沙耶が駆け寄ってくる。
 柄咲は殆ど嫌々といった風だったが、この際仕方あるまい。
「二十分遅刻だぞ」
「ごめんね、時間かかっちゃった」
 悪戯っぽく舌を出して、沙耶は拝むように両手を合わせた。
「女の仕度に時間がかかるってのはマジな話だったってか……?」
 引き攣った笑みでもって、高岡が言う。皮肉っぽい響きが篭っているのは、やっぱり、この際仕方の無いところだろう。
「で、涼野は何で遅れてんだよ」
「寝坊してたよ?」
 と、沙耶。
「行きがけにわたし達が起こして、連れてきたの」
「それで遅れたのか……って、つまり涼野が全部悪いんかぁっ!?」
「……悪かった」
 相変わらず生気の抜けた声。
「まあ、いいけどな。さっさと行こうぜ」
 溜息と共に吐き出すと、高岡は四人分の切符を買うため、駅の自動販売機に向かっていた。


 

 東京郊外に出ると、様々なレジャー施設が点在している。
 キャンプ場であったり海水浴場であったり、或いは遊園地なども新設されつつある。
 シェアブレイクによる不況で、レジャー施設の殆どは一時閉鎖まで追い込まれたが、その後逆に需要が高まると、かようにして建て直されている。
 寧ろ、工業生産の停止による環境の改善により外国からもレジャー客が訪れるなどして、前以上の活気を得ている場所すらあるほどである。
 都心から電車で二十分ほどの場所に、その遊園地は建てられていた。
 二ヶ月前に開設したばかりで、若者向けの雑誌などでもデートスポットとして、申し訳程度に紹介されていた事がある。
 この手のレジャー施設が多すぎて、特集するほどでもないという事らしかった。

 切符を買って中に入ると、休日という事もあって、相応の賑わいを見せていた。
 ジェットコースターやらティーカップやら、とりあえず一応のものは揃っている。
「体感ゲームとかもあるかな」
 柄咲が呟いた。
「いまどき、ンなものあるのか……?」
「このまえ、『スターウォーズ・ライド』っていうのに乗った…ここじゃないけど」
「……」
「ほらほら男衆、置いてっちゃうよっ」
 などと、他愛ないやりとりをしながら幾つかの乗り物を乗り終えた頃には、時刻は昼をまわっていた。
「お昼ご飯のあとは、ペアで行動しない?」
 ――唐突に言い出したのは、沙耶だった。
「ペア……っていうと、2組に分かれようって?」
 ジュースを飲み下してから、三枝。
「そうそう」
「……別に俺はいいけどよ、どうやって分ける気なんだよ」
 と、高岡。
「え? 美紀ちゃんと高岡君でペアにしたら丁度いいじゃない。つきあってるんじゃないの? 二人とも」
 三枝は、口に含んでいたジュースを噴き出しかけた。
「沙耶ッ!」
「牧原、また随分滅茶苦茶言うよな……」
 ワンタイミング遅れて、高岡。
「でも、最近なんだか仲良さげじゃなかった?」
 からかうような調子の沙耶。やはり以前の彼女にはなかった事である。
「どぅしてそうなるのよ〜……」
「真実はいずれ明らかになるのよ、美紀ちゃん」
「あのねー!」
「……俺と牧原がペアなのか?」
 それまで無言だった柄咲が、口を開いた。
「それとも、くじ引きで決める?」
「いや……」
 それも煩わしい。
「涼野――」
「じゃあ、そうしようよっ」
 何かを言いかけた高岡を遮って、沙耶が身を乗り出した。
「よし、それで決まりっ」
 一人はしゃぐ沙耶に、三枝も高岡も口を挟めないでいた。
 柄咲一人は、我れ関せず、とばかりの態度を貫いていた。

「じゃあ二人とも、ケンカとかしないでよっ」
 別れ際、冗談めかした口調で、三枝が肩越しに言葉を投げ掛ける。
「美紀ちゃんこそ、しっかり楽しんできてね」
 三枝も何だかんだいって、楽しそうだった。
 ひらひら、と肩越しに手を振ると、沙耶は柄咲の背を押して歩き出した。

「どこ行こうか、涼野君」
「別に、何処でも」
 柄咲はどこまでも素っ気無かった。一方の沙耶も気にした様子は皆無で、柄咲をあちこち引っ張りまわしていた。
 時折思い出したように湧き上がる虚しさが、まだ精神の外側を刺して回っているという事。
 ……それが、柄咲には不愉快だった。

「涼野君」
「……」
 半ば睨むような視線を向けると、沙耶はにっこり笑って、
「あれ、乗ろう」
 ――と、ビーグランドの目玉。世界最長のジェットコースターを指差していた。

 ――そこから先は、柄咲はよく覚えていない。
 ただ、量、質、共に世界有数を自認する絶叫マシーンにのきなみ乗せられて、ティーカップに乗せられた挙句散々に回転させられ、トドメにミラーハウスに引きずり込まれて――いい加減、頭の方がマヒしかけている事だけは……疲労で濁った頭でも、認識できる。
「……大丈夫?」
 ベンチの背もたれにもたれて、ぐったりとのびている柄咲の隣に座って、沙耶は可笑しそうに笑った。
「涼野君、乗り物酔いするんだねぇ」
「あれだけ派手に遊びまわって……平然としてる方がどうかしてると思う……」
 17台目の絶叫マシーンを乗り終えた所で、疲労と乗り物酔いが限界に達してしまっていた。
 ……実際、平行感覚が怪しかった。
「ねぇ、涼野君」
 くい、と袖が引っ張られて、柄咲はふと沙耶を見遣った。存在すら忘れそうになっていた彼女が、にこやかに笑い掛けている。
 今度は何だよ――
 そう、言いかけた時だった。
 一瞬――何か、微量の異分子がその表情を掠めたように見えた。
 寧ろ彼女に無関心だったからこそ読み取れた、微妙な変化。
「あれ、やらない?」
 沙耶が指差す先を見遣る。
 そこは、ゲームコーナーの一角だった。


 三枝は歩きながら、ちらちらと背後を見遣っていた。
「何やってんだよ」
「えー? ……だって、あっちの二人……気にならないの?」
 とことん無愛想な柄咲と――失恋以来、何故か元気だけが先行している沙耶。
 何処かで歯車がかみ合わなくなるに決まっている。
「心配だなぁ、って思わない?」
「気にし過ぎだろ」
「そうかなぁ……」
「三枝、いくらなんでも心配性だぞ」
 苛立った風の高岡が、三枝の鼻先に指を突き付ける。
 思わず、三枝は半歩後ずさる。
「それとも、……柄咲に気があるとか?」
「馬鹿言ってんじゃないの。クラスメートとして、沙耶が心配なだけよ」
「折角遊びに来てんだからさ、お前も楽しめってば」
「それは……正論だけど……」
 弱気になりながらも三枝が何とかそれだけ言うと、高岡はにぱっと笑った。
「そうだろ? だからさ……俺達も、楽しもうぜ」
「……」
 ……そう…だよね……。
「……そうだよ……ね!」
 とりあえず、忘れておける気がした。
 胸の奥に蟠る、煩わしい事全部……
 ――今は、忘れていられる――。
「そうそう! 折角なんだしさ、思いっきり楽しんでいこうぜ。
……まあ、新築の遊園地ってのは、少し物足りないかも知れねーケドな」
(物足りなくは無いよ)
 内心でだけ、三枝は答えた。
(少なくとも、今は……)


 物足りなくなんか無いよ、私は……。


 沙耶の指差したものを見遣って、柄咲は見たままの事を呟いた。

「クレーンゲーム……?」

「涼野君、あれが上手いんでしょ?」
「……まあ、上手いけどな…」
 それは、親父の責任もあるんだぞ…
 何処で聞いたんだ、全く……。
 内心でぐちる柄咲の袖を引っ張って、沙耶はゲームコーナーのクレーンゲームまで走っていく。
「これ、この人形取って」
「……なんだ、こりゃ……」
 柄咲は思わず呟いた。
 なんというか、獏と象を足して二で割ったような人形だった。
「これ、アリクイだけど?」
「アリクイ……」
「舌を伸ばしてシロアリをぱくぱく食べるの。TVとかで見た事ない?」
「……あるけど……」
 何が悲しくてこんなものが欲しいんだ……。
「もっと可愛いのとかあるだろ、こっちの抱き枕ぬいぐるみとか――」
 ――は、取れないかな。これはどうもでかすぎる。完全な設計ミスしてやがるな。
 ちらっと見遣ると、沙耶はふるふると首を振った。
「こっちのぬいぐるみが欲しい」
「……アリクイが?」
「そう、アリクイが」
「……」
 三秒半、黙考。
「……分かった」
 柄咲は財布を探ると、百円玉を取り出した。
 馴れた手つきでクレーンを動かすと、目当てのぬいぐるみはあっさりと手に入った。
「ほら、お目当てのやつだ」
 出てきたぬいぐるみを沙耶に手渡し、改めて溜息を落とす。
「うわ。本当に上手いし………ありがと……」
 ぬいぐるみを受け取ると、お世辞にも可愛いとは言いがたいそれを、沙耶は抱き締めた。
(何がそんなにいいんだか……)
 半分呆れ、何処か軽蔑したような目を向ける柄咲の前で、不意に、沙耶が口を開いた。
「……これ、ね。前に取ってもらった事があるの」
 ぽつり、と口にして、俯く。
 髪に隠れて、表情が見えなくなる。
「前に付き合ってた男の子にね、取ってもらった事があるの」
「……」
 柄咲は答えなかった。
 彼女は、柄咲に話しているのではないのだと、そう感じたからだ。
「意地になって、沢山お金つぎ込んで、結局取れたのがこれだった。それは、可愛いなんて言えないぬいぐるみだったけど、でも……」
 詰まったような、声にならない声が漏れる。
(結局、俺は…だれかの代わり…って事か)
 口さがない女子連中がそんなような事を話しているのを、少しばかり耳にした覚えがある。
 多分、忘れようとしたのだろう。
 前に付き合っていたと言う、その男の事を。
 ――要するに、相手は誰でもよかったんだ――。

 ようやく、納得がいったように思えた。それが完全なものではないにしても。


 ……柄咲は知らなかった。
 その男が、未羅に惹かれたのだと言う事。
 だからこそ、沙耶が柄咲を選んだのだと言う事。
 ……柄咲は知らなかった。
        知る術(すべ)も無かった。
        知ろうとも、思わなかった。
        興味も、無かった。


 ……結局、駅前で解散という事になり、家に帰り付いた頃には、既に日が落ちていた。
 気分は、結局晴れなかった。
(……馬鹿馬鹿しい……)
 心底そう思った。
 夢の続きのように意識がぼんやりしている。
 ……これが舞台上の茶番劇なら、幕を引けば何もかも終わるのに……
 終わらない。

 終わらせた後、どうなるか分からないから……








            終わらせる度胸も、無い










 未羅は一人だった。
 情け無いくらいに、一人きり。
 自室のベットに腰を下ろしたまま、いつからそうしていたのか知れないような静かさで、そこにいる。
 暗い。
 もう、外が暗い。太陽の光を失った部屋。
 閑散として、何処か違和感を感じる。
「……」
 何かを探していた。
 何かを求めていた。
 その『何か』が何なのかは分からない。
 けれど、なければならない。それは今の自分にとってとても必要なものなのだと思えたから。
 ふらりと立ち上がる。とりあえず本棚の前に立つ。
 本棚に並んだ背表紙を指でなぞる。
 上の棚を流すように見て、視線を下げていく。
 ……無い。何処にも無い。
 何を探しているわけでもないのに、その焦燥が胸を焼いている。
 しゃがみ込んで、一番下の棚に目を走らせる。
 ……絵本だった。
「……」
 何となく、予感を感じた。
 無言のまま、未羅は一冊の絵本を取り出した。
 ――以前はよく見ていた絵本だった。
 飽きる事もなく、いつもいつも胸を高鳴らせて、休み時間の度にこの絵本たちを読んでいたのだ。ずっと――。
「……懐かしいなぁ……」
 未羅にはそう感じた。

 その場に座り込んだまま、表紙を開く。

 最後にこの絵本を読んだのは――何時の事だったろう?

 ページを繰っていく。

 他愛ない内容と、可愛らしい絵柄。

 懐かしい。そう感じる。

 信じられないくらい幼かった自分が、

      『――何考えてんだか……おまえは――』
 何の違和感も無かった頃、そこには確かに今は無いものがあった筈だった。

 けれど今、こうして、…変わってしまったことが悪いんじゃない。


      『いやいや、可愛いと思うけどなぁ。俺は』

                                          あの頃と同じで居ることが正しいわけでも、無論無い。


     『ほぅほぅ……サッカー部レギュラーはロリコン……しかも重傷…っと。またしても新事実発覚ね』



 なのに哀しかった。



 どうしようもなく哀しいと思った。
 どうしてこうも優しく感じるのだろう。手の届かない場所にあるものは、どうして……
 ……どうして、胸を焼くほど恋しく思えるのだろう。
 昔の方が良かったなんてコトは無いのに。あの時は、もっと大人になりたいと思っていたのに。大人になれば、変われる。綺麗で素敵な女の子に……と。

 そう信じていた。そうなれると思っていた。……無邪気なくらいに。

 そうしたら、変われると思っていた。

 ――もう溜息なんてつかせない。子供だなんて思わせない。同じ場所に立って、同じ
ように見てもらえる。

 そうなりたかった。なりたいと思っていた。

       私を必要としてくれる人のために。

 ……ぱたん。

 絵本を閉じる。

 もう、二度と見なくてもいいと思った。




 …思い出すだけだから。





――大人になりたかった。綺麗で素敵な女の人に。たったそれだけのコト、なのに――

               ――どうして、私は――





       …………それは、彼女が彼女でいれる、唯一この瞬間の……『人』として、最後の悩みだった。

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